Live Report update: 1999. 11. 12


1999年 10月 16日 Hollywood Bowl, Hollywood
Live Report BUCHI
1999年10月16日土曜日午後6時。成田空港ビル北ウィング51番ゲート前。私は例によって凶悪な顔つきで飛行機への搭乗を待っていた。正体の分からない不安が私にのしかかっていた。

Team Heartbreakerのmayuさん、せつこさん、しげやん、ジローさんがツアー最終日のコンサートを見に、渡米すると言う話を耳にした時、8月の末サンフランシスコでTom Petty & The Heartbreakersのコンサートを見たにもかかわらず、私はもう一度みたいという衝動を押さえられなかった。そして出した結論は周囲の人々を驚愕させるに充分な計画だった。1泊3日。東京とロサンゼルスを往復し、コンサートを見る。私は真面目だ。出不精な私を旅に駆り立てる目的は、音楽だけで充分だった。地球の自転に徹底的に抗う事に躊躇はしなかった。

原因不明の不安と戦いながら、私は機上の人になった。サンフランシスコと違って、現地に着けば信頼できる仲間と合流できるし、トムが喉を痛めてコンサートをキャンセルする気配もない。私は機内食を胃に押し込むと、この二点に支えられて、不安を押し殺し、念力を発する事もなく、目を閉じて太平洋が途切れるのをひたすら待った。約9時間の後、朝のロサンゼルスはその姿を現した。Hollywoodのサインボードが見える。平らな地面に直線道路が果てしなく交差し、空気はぼんやりと煙っていた。全体に白っぽく埃に覆われ、緑が極端に少なく、乾いた街の姿がそこにあった。人間の住むべき土地ではない。私はそう思った。そもそも砂漠なのだ。雨が降らない。雨が降らないところには人間は住めないだろう。そんな土地に築かれた大都会が、ロサンゼルスだった。私は戦慄を覚えずには居られなかった。成田の夜の向こうに、私はこの街に対する恐怖を感じ取っていたのかもしれない。
ロサンゼルス国際空港ターミナル出口近くの待合所で、私を見つけてくれたのはせつこさんだった。そしてmayuさんとも合流する。しげやんと、ジローさん男性二人はレンタカーの手配に行っていた。ロサンゼルス16日土曜日午後2時。空は軽やかに晴れ渡り、太陽は強烈に照り付ける。やがて私達5人はクライスラーの車内に集結した。頼り甲斐のあるツアコンのしげやんがハンドルを握り、車は走り出す。

カーステレオでTP&HBがかかり始めた。抜けるような青空と乾いた街並み。ロックンロールが非常に良くマッチした。西海岸においては、ロックは雨の代わりなのかもしれない。「ヤシの木もあんなにあると気持ち悪いね」フリーウェイを市内に向かう道すがら、mayuさんが言った。左右にひょろりと立ち並ぶ気持ち悪いヤシの木を見ながら、ダウンタウンの高層ビルが迫ってきた。「よく映画とかで使われるのがこの景色ですよ」しげやんが言う。私は "Peace in L.A." を思い出して憂鬱な気分になった。しかしそれは長続きしない。次々とステレオから流れるTP&HBナンバーが私の街に対する恐怖をかき消し、今夜のコンサートへの興奮を除々に高めて行ったからだ。「ぶちさん、今夜はいよいよコンサートですよ」運転席からしげやんが言った。
まず、ハリウッドに向かい、最近TP&HBもその名を刻むアーチストの仲間入りをしたウォーク・オブ・フェイムを訪ねる事にした。途中、ハイウェイの標識がVentura Blvd.の方向を指し示すのに出会った。まさにここは、あの "Free Fallin'"の世界だ。しかし、ハリウッドそのものは現実を思い知らされる所だった。メインストリート沿いでさえ、さびれていた。観光客も多く、商店や映画館も立ち並んでいるのだが、全てが空虚で魂が入っていないような気がする。それとは対照的に、車の後部座席はにわかに活気付いていた。私を含めた女三人がやおら化粧をはじめたからだ。「わぁ、ジローさん、後ろがすごいことになってる!」しげやんが悲鳴のような声を上げた。「だって、写真撮るんだもん。トムさんたちに会うし。」

一部に著しい誤解を含め、一行は車を止めて歩き始めた。Tom Petty & The Heartbreakersの名を刻んだ星型の敷石を探して、メインストリートを東から西へとたどる。それぞれの星にはアーチストの名と、そのジャンルを示すマークがついていた。ミュージシャンはレコード、舞台俳優は仮面、映画俳優はカメラという具合だ。通りの南側ギャラクシー・シアターの向かい辺りにそれはあるはずである。「あ、あった、あった。」せつこさんの声と共に私達は一枚の敷石に駆け寄った。1辺が50cmくらいの敷石には大きく星型が描かれ、レコードのマークと、Tom Petty & The Heartbreakersの文字。ただそれだけだ。しかし私達は地面に這いつくばり、星に触り、立ちあがっては眺め、写真を撮る。ハリウッドの真中で怪しい東洋人の若者5人がわぁわぁ言いながらこの有様だ。観光客達には変な宗教の儀式に見えただろう。何があるんだろうと、覗き込む人も居る。

ひとしきり儀式を終えて、私は辺りを見回した。空虚な街がそこにあった。そもそも、この敷石も大したものではない。別に彼らのレコードが何枚売れた記念とか、サインがあるとか、深い意味はない。単に彼らの名前が刻印してあるだけなのだ。そんな敷石に、頬擦りせんばかりの私達は、ただひたすら数ヶ月前敷石が設置された時、この地にやってきたTP&HBと、同じ空気に触れたい一心だった。
ハリウッド午後7時。日も暮れていよいよコンサートの時間が迫ってきた。ホテルに荷物を置き、改めてクライスラーに集結する。Hollywood Bowlはハリウッドの北の丘にへばりついた円形劇場だ。コンサートに集まって来た車から、TP&HBの曲が聞こえてくる。ギターを持参して演奏する人々もいた。丘の上まではかなりの距離があり、私たちはグッズを買い求めながら歩き始めた。既に会場はTP&HBのロックパワーで異世界へと変貌しつつあった。

私の席は他の人とは離れていた。右手にはスクリーンがある。中央から少し右よりで、前後では中央付近に位置している。私が席につく時、一瞬私の席の後ろに居る相撲取りの如き体形の男と一瞬目が合った。ふと、嫌な予感がした。すぐに前座が始まる。その時、後ろからこの世のものとは思えない大きな声が上がり、それが私の脳の中で振動して頭部全体が電気ショックを受けたように痺れた。後ろの相撲取りは大声馬鹿だったのだ。歌舞伎で掛け声を出す観客の隣に座ってしまったかのような、絶望的な気持ちになった。遠い所で聞けば場の雰囲気を盛り上げて良いものだが、すぐ側で起こると最悪だ。

私は寒さで身を震わせながら、長い長い前座の間その大声から意識を遮断し、ステージに集中するべく念力を増幅させるのに必死になった。まさかコンサートが始まってから念力を出動させる事になろうとは。私は念力を支えるために心の中で呪文のように「トムさん、トムさん…」と繰り返した。

そのトムさんと仲間達は午後9時過ぎにステージに現れた。彼らは凝った演出もなしにさらりとステージにやって来た。観衆が一斉に立ちあがる。私は後方の大声の代償として、視覚的アドバンテージを得た。前の人の背は低くないが、彼の肩口からステージが見渡せる。サンフランシスコのように爪先立ちとジャンプの2時間にはならないで済みそうだ。結局今回も、私の理性はカリフォルニアの大空に吹き飛ぶ事になった。"Jammin' Me"でのご一緒シャウトが、寒さも1泊3日の強行軍も、この街に対する恐怖も、全てを一掃することになった。幸いな事に、大声相撲取りは歌に自信がないらしい。合間の大声に耐えれば何とかコンサートを楽しめそうだ。
トムの姿がサンフランシスコの時よりもやや大きめに見えた。ファイヤーバードを担ぎ、一寸体重を片足にかけ気味に、マイク(拡声器の方)との距離を上手に使いながら、アクセントを強調して、私達を煽り立てる。派手な化粧も、衣装も、セットもない。やたらとチャリティを振りかざして私達を脅迫する事もないし、大向こう受けするバラードの連発で、逆に渋さを売りにする事もない。飽くまでも彼はオリジナルな形のロックンロールスターだった。"Runnin' Down A Dream"で強烈に私達を引っ張り、"Breakedown"でオーディエンスの様子を見ながら一緒に歌うトム。「大人の貫禄」などという評価は私には出来なかった。そこに居るのは永遠のロック小僧だった。 

さて、私はかねがねホウイの調子が気になっていた。私は彼のふっくらした頬の安心感のある静かさと、演奏するときの幸せそうな表情とリズムの取り方が好きだった。その晩、Hollywood Bowlに現れたホウイはサンフランシスコよりも更に元気を取り戻したようだった。頬はこけたままだったが、それが大人びたように見える。襟にひらひら飾りのある、ゆったりとした白いシャツ。まるでトムの真似か、お古みたいだ。そしてぴったりとした黒いレザーのパンツ。ノーブルな雰囲気だ。ホウイと言えばバンドの中でも一番小さいという印象があったのだが、意外に脚がスラリと長く、素敵である事を新発見してしまい、正直、惚れ直したと言って良い。もっと重要なのは彼の演奏だ。しっかり片足でリズムを取り、上半身を前後にリズムカルに揺らす。演奏スタイルは昔に戻っている。小編成であるが故にぼろが目立ってしまいがちなバンドを、確実なベースラインで、確実に支えているのが良く分かる。そしてコーラス。"I Won't Back Down"や"Walls"が静かに、そして力強く円形劇場に谺するのは、神様が遣わしたとしか思えないほどトムの声との相性が良い、ホウイの力だろう。
ホウイのベースと共に、小編成バンドを支えているのはベンモントのキーボードだ。コーラス隊やホーンセッションが在るわけではない。どうしても音に隙間が出来てしまい勝ちだ。特にTP&HBの曲はシンプルなものが多く、そのリスクを負いやすい。その隙間をベンモントが絶妙に埋めてくる。ロックにおけるキーボード奏者に大切なのは技術ではない。その曲の、そしてバンドの音のバランスを見極め、いかに邪魔にならず、上手く音を差しこむか。耳の良さと、判断能力と、瞬発的な応用力が要求される。特に"It's Good To Be King"の長い長いエンディングは、トムとマイクのギターが主役だが、それを支えているベンモントの力を思い知らせる。観客が安心して踊ったり、歌ったりできるのは、彼のお陰かもしれない。

いよいよマイクの歌が始まった。"I Don't Wanna Fight"。相変わらずたどたどしい発声をする。実は歌う事自体に慣れていないのではないかと思わせる。フレーズによって発声が違う。単語によってもフラつく。それでも一生懸命だ。そして思わず私が笑ったのは、マイクを助けようと、他のメンバーも必死な事だ。トムは特にメインボーカルなのだから、ギタリストが歌う時くらい休んで欲しいのだが、ホウイも、ベンモントも、スコット・サーストンも、とにかく歌える人は全員で。次のツアーで、マイクは歌うだろうか。上手下手はとにかく、この風景も悪くはないと思った。もちろん、マイクはギタリストである。"Runnin' Down A Dream"の延々と続く格好良すぎるギターソロは、どこまでも私の理想通りだった。マイクの場合、ギターの神様と呼ばれる事は決してないと思う。彼は飽くまでもロック小僧の延長なのだ。華やかなステージと、客席を埋める聴衆との距離がとても近い。彼はギターを愛する少年達のチャンピオンだった。トムが永遠のロック小僧でいられるのは、このパートナーがいればこそだろう。"Mary Jane's Last Dance"の心地よい余韻は、マイクのギターから流れ出て、客席を駆け巡って行った。
ハリウッドのこのコンサートは、1999年echoツアーの最終日だった。しかしオマケはつかなかった。サンフランシスコでは"The Waiting"を聞くという僥倖を得たが今回はそれもなく、更に"Room At The Top"も省かれた。余程早く休みたいと見える。しかし、私は今回のライブに不満を感じなかった。それはこれまで聞きなれていたはずの曲に、新たな衝撃を受けたからだ。衝撃はマイクのソロギター曲の"Penetration"の後訪れた。

トムの居ないステージは、カラフルなライトでキラキラと輝いていた。低音ビートの効いた、連続リズムパターンがぐるぐると響き渡る。ギターとキーボードが奏でる催眠術のようなリフパターンが、大きな袋のように会場を包み込み、何かが起きると言う予感がする。Hollywood Bowlは不安定で、起爆性のある気体が充満し、膨張を続けた。今にも爆発しそうな、どこか危険で不安な空気が満ち溢れていた。

やがてトムが現れた。彼独特のピタッと止まる仕草で、一瞬音が止まる。私は息を飲んだ。そしてまたリズムカルな響きが始まる。動悸が激しくなる。トムがステージ右手に置かれた海賊が強奪したような宝箱に近づく。蓋を空けると光が溢れ、トムがあの帽子を取り出した。ステージが昼間のように明るく輝き、"Don't Come Around Here No More"のイントロが響き渡った。「Hey ! 」という叫びと同時に、私は耐えられなくなった。もう駄目だ。両目からバタバタッと涙がこぼれ落ちた。どうしてなのかは、いつまでたっても分からない。聞き慣れた曲の上に、別に感動的な歌詞でもない。ライブビデオも何度見た事か。サンフランシスコでも同じものを体験しているはずなのに。七色に輝くステージと、バンドメンバー達。胸から喉にかけて突き上げて来る何かが、両目からあふれ出るのを止められなかった。

これはきっと、TP&HBというバンドの全てに対する思いと、旅に、街に対して抱きつづけた恐怖からの解放がもたらした現象だと、少しだけ答えらしきものを自分で作ってみたりもする。結局納得の行く言い訳は未だに見出せない。しかし、はっきりしている事が一つだけある。ハリウッドで体験した"Don't Come Around Here No More"は、スタジオレコーディングとも、ライブアルバムとも、ビデオとも、全く異なる曲だったという事だ。
ここまで及ぶと、後はライブが終わってしまう事への寂寥感が押し寄せてくる。"Free Girl Now"…大好きな曲なのに、大声で一生懸命歌いながら悲しくなる。もうすぐ終わってしまう。TP&HBは私の目の前からいなくなり、次に彼らにはいつ会えるのか分からない。"Free Fallin'"の限りない美しさが、覚悟を決めろと、私に迫った。せめて、残された時間を充実したものにするために、"GLORIA"でコーラスをサポートする。そして、本当に最後になってしまった。 " American Girl "が始まってしまったのだ。名曲中の名曲と言って良い。TP&HBとしてデビューした当時の曲だから、もう20年以上もたつと言うのに、決して色あせない。トムもバンドも、この曲をライブの締めくくりに選び、楽しく、元気に、力強く私達にプレゼントしてくれた。

引っ込む前に観客に挨拶するメンバーの、なんて嬉しそうな表情。トムは特徴的な手の挙げ方で感謝を示し、マイクとベンモントはいつまでもニコニコしていた。ホウイに至っては軽くステップを踏みながらクルリと回って見せる。後に残ったのは悔しいくらいの虚脱感。ひどく悲しい。どうして終わってしまうのだろう。彼らはこれからどうするのだろう。打ち上げパーティーをして、家や宿舎に戻って寝て、目が覚めたら何をするのだろう。私にはどうしても分からなかった。
悲しんでばかりも居られない。三度クライスラーに集結した私達。宿舎に戻るや酒盛りが始まった。遥か太平洋の向こう側からノコノコやって来た日本人どもは、バンドメンバー以上の開放感で盛り上がり続けたと思う。結局、私は一人寂しく宿舎に戻ることなく、mayuさんとせつこさんの部屋に転がり込んで、24時間ぶりにベットでの睡眠を取る事になった。

明けて17日日曜日午後2時。私は帰途についた。土曜日にロサンゼルスに降り立ってから26時間。私はこの街を離れる。すでに恐怖の念はなく、全てはコンサートを楽しむための気合の向こうに去って行く。やがて日常が戻り、ハリウッドでの感激は想い出となる。そして先の事は来日公演実現という夢に託され、ロックスター達はまた遠い存在に戻った。TP&HBのメンバーにとっても、ツアーが終了して安らかな日常が戻っている事を願う。しかし彼らは知らないのだ。コンサートが終わった時の、どうしようもない悲しみを。それは音楽がもたらす幸福感の代償だった。
Las Vegas & Hollywood