basic information
本名 | Stephen Ferrone |
* | 日本では「スティーブ・フェローン」 と表記されるが「フェローニ」が正解 |
生年月日 | 1950年 4月 25日 |
出身地 | ブライトン (イギリス) |
パート | ドラムス |
家族 | 孫が7人とのこと(2016年) |
bio
Steve Ferrone は、イギリスはサセックス州のブライトンで生まれました。ヨーロッパでも名門の音楽学校 The Nice Conservatory で学び、イタリアやフランスの音楽シーンで活躍を始めます。
Bloodstone や Brian Augers Oblivion Express などというバンドに在籍した後、1974年頃にスコットランド出身の白人黒人混合バンド Average White Band に加わります。1982年に脱退するまで、『Cut The Cake』 『Soul Searching』 『Person to Person』 『Benny & Us』 『Warmer Communication』 『Fell No Fret』 『Shine』 『Volume 8』 『Cupid’s In Fashion』などのアルバムに参加し、成功を収めています。
Average White Band 脱退後はさらに活躍の場を広げて、セッション・ミュージシャンとして売れっ子になります。1980年代には、Paul Simonの『Hearts And Bones』、Chaka Khan の『What Cha’ Gonna Do For Me』、Duran Duranの『Notorious』、さらにGeorge BensonやJaco Pastoriusなどの作品にも参加しています。
その後、1992年までは、Eric Crapton のバンドのメンバーとなり、1987、88、90、91年の来日公演にも同行(91年は George Harrison with Eric Clapton and his band)。Clapton のアルバム『Unplugged』や『24 Nights』にも参加しています。
1994年のTPソロ作『Wildflowers』に参加して以来、TP&HB のドラムを担当。1995年以降のツアー、および主なライブ・パフォーマンスでは常に一緒です。セッション・ミュージシャンという印象が強いため、短期間の在籍ではないかと思われているようですが、TP&HBに腰を落ち着けて既に20年超、すっかりメンバーの一員となっています。
Steveは、TPとの出会いについて次のように語っています。
ブッキング屋(booker)と呼ばれる人から電話があっただけなんだ。ブッキング屋というのは、レコーディングのセッションで予定が空いてるかどうか、電話をかけて聞いてくる人なんだけど、その人が「来週の予定は?」と聞いてきてね。僕は「来週は空いてるけど、誰のためなんだい?」と聞いたんだ。彼は「極秘だ」と言ったんだよ!
[Pro-mark社 インタビュー、2000年10月](翻訳: Sigeyan)
数日後、ロサンゼルスに行ってほしいと言わたので、もう一回聞いたんだ、「だから、誰なんだ?」と。彼は「Tom Petty だよ」と答えたのさ。そうやって行った訳だ。『Wildflowers』の始めの1週間、そうやって一緒に演奏したんだ。それが 8年前の話だ。
2003年、ライヴ・レコーディングによるソロ・アルバム『Steve Ferrone』を発表。「The Lost Cities」ツアー(2003年) 初日の Suiox Falls で、Tシャツ等と一緒に売られていました。続いて、2作目のソロ・アルバム『More Head』(右)も発表しています。
2008年、なんと Steve が来日(しかも 2月と 9月の2回!)、その際に我々(Heartbreaker’s Japan Party)のインタビューに応じてくれました。あまりにもチャーミングでフレンドリーでジェントルマンな Steve … もう大感激(すっかりメロメロのSやんと私なのでした)。是非、ご覧になってください。