Tom Petty and the Heartbreakers History

飛躍と円熟( 1990年代 )

1990年代に入っても積極的な活動は続きます。1991年、Jeff Lynne プロデュースのもと再び Heartbreakers と組んだアルバム『Into The Great Wide Open』の発表後、TP は新たに Warner Bros. Records と契約を結び、後に『Wildflowers』となる作品のレコーディングに入ります。

ここでプロデューサーに起用したのがヒップホップ界の大物でロックバンドも手がけるようになっていた Rick Rubin (*1)。Rubin は TPによりライヴに近いスタイルでレコーディングすることを勧めるのですが、これはTP(&HB)のスタイルとも合っていたようです。その成果は続いて発表される作品に表れます。

93年、Rubin プロデュースによる 2曲の新曲(*2)を含む『Greatest Hits』がMCAから発売されます。このアルバムは1,000万枚を超えるセールスを記録し(2003年11月時点)、彼らにとって最大のヒット作となっています。しかし、この作品を最後にドラムの Stan Lynch が脱退。TPのソロ・アルバム制作などを通して、関係が悪化していたのが原因だったようです。

94年に発表された『Wildflowers』(TPのソロ第2作目)は、コンピューターやシンセサイザーを使用せず、ライヴな音にこだわって制作されました。アルバムは非常に高い評価を得て、TPはグラミー賞の最優秀男性ボーカル(Rock部門)を獲得します。アルバム発売に合わせて行われた半年以上(86回)に及ぶ全米ツアーも大成功でした。Scott Thurston(ギター、ボーカル)(*3)、Steve Ferrone(ドラム)を加えたバンドは、新たな Heartbreakers ともいうべきラインナップとなり、非常に実りの多い時期でした。

96年には初のサウンド・トラック盤 『She’s The One』をリリース。97年にはデビュー20周年を記念して、サンフランシスコの Fillmore で20回のショウを行ない大評判となりました。

1999年には、TP&HB のオリジナル作としては実に8年ぶりとなる『Echo』をリリース。重厚で深みの増した作品から、彼らのさらなる前進を感じさせてくれました。

1990年代後半、作品が高い評価を得る一方で、この時期の TP は個人的な問題 (*4) を抱え、苦しんでいたのも事実です。それは発表されたアルバムにも少なからず反映されています。TP の内面的には辛い時代であったようですが、それ故でしょうか… 生み出された作品は美しい輝きを放っています。

*1) Rick Rubin
アメリカン・レコーディングス創始者。90年代中盤~後半の作品を共同プロデュース。

*2) 新曲
TP作の”Merry Jane’s Last Dance”とカヴァーの”Something In The Air”。”Mary Jane’s…”はTPにとっての代表作となる。

*3) Scott Thurston
Scott はサポートメンバーとして、90年代初め頃からツアーに参加している。

*4) 個人的な問題
Jane 夫人との20年以上にわたる結婚生活は1996年秋に終わりを迎えた。同時期、うつの治療を受けていたこと、またヘロイン中毒となってしまったことを後にTPは語っている。

Hall of Fame( 2000年代 )

2000年以降、再びTP&HBとしてのアルバム制作に入りますが、2001年夏には新譜リリースのないままに全米ツアーを行ない成功をおさめます。また、デビュー25周年となったこの年、「Rock & Roll Hall of Fame(ロックの殿堂)」に選出されます。翌年3月に行なわれた授賞式には、TP、Mike、Benmont、Howie に加え、Stan、Ron も顔を揃え、多くのファンを喜ばせました。

2002年夏も、前年と同様に新譜リリース前の全米ツアーが行なわれました。しかし、ツアー前に Howie Epstein の脱退(事実上の解雇)(*1)が発表され、代わってバンドにはオリジナル・メンバーの Ron Blair が復帰しました。長らく TP&HB のサウンドを支えてきた Howie の脱退はバンドにとって大きな痛手でしたが、Scott Thurston を中心に Howie の穴をカバーしてライヴを続けました。

2002年秋には TP&HB として、音楽業界に問題提議するコンセプト・アルバム『The Last DJ』をリリース。コンセプト・アルバムという側面がセンセーショナルに取り上げられましたが、内容的には繊細かつノスタルジックな雰囲気のアルバムでした。同時に、新曲中心のセットリストで、約3ヶ月のツアーを行ないました。

そんな中、非常に残念な出来事が起こりました。Howie Epstein が、脱退から1年経たない 2003年2月24日、ニューメキシコ州サンタ・フェで急死 (コカインの過剰摂取が原因とみられる)。47才という若さでした。

ニュー・アルバム発表の有無に関わらず、サマーツアーを実施するというのが 2000年代以降のTP&HBのパターンになっています。2004年は休養たのめツアーはありませんでしたが、2005年は再び新譜の発表がないままに、大規模な全米ツアーが行われました。高騰するチケット価格に対抗するアーチストとして(*2)、マスコミも観客も非常に好意的で、観客動員的にも大成功を収めました。

2006年、バンドはついにデビュー30周年を迎えました。2005年から2007年にかけて、インタビュー形式でまとめられたTPの伝記本「Conversations With Tom Petty」の発売、TPにとって3作目となるソロ・アルバム『Highway Companion』の発表、デビュー30周年記念ツアー、ドキュメンタリー・フィルム「Runnin’ Down A Dream」の公開・発売と賑やかな話題を提供してくれました。

そして、2008年 2月には全米最大のイベント、スーパーボウルのハーフタイムショーで演奏するという栄誉も得ています。

2009年11月には長らく発売を噂されていた、TP&HB のライヴ活動全般を網羅するライヴ音源によるボックスセット『The Live Anthology』が発売され、通常盤 CD4枚組48曲、デラックス盤 CD5枚組62曲を収録した大容量のセットはファンを大いに喜ばせました。

*1) Howieの脱退
オフィシャルから発表されたプレス・リリースには「ongoing personal problems」とだけ記されていた。

*2) チケット代
ビッグネームのコンサート・チケット代が軒並み$100以上になっているところ、価格を押さえようというアーチストも出ている。チケット代$60前後のTP&HBなどもその例として紹介されている。