1-1. The Fillmore Party Report

** The Way to SF

Fillmore 行が決まってから出発までは約2週間ちょっと。かなり慌ただしい時間を過ごしました。そのため、本当にTP&HB を観に行くという実感は湧いてきませんでした。考えるほどに、なぜか緊張感が高まり、ワクワクした気持ちとは程遠かったのも事実です。それでも 1997年のことを思い出し、みんなから頂いた激励のメールを読みながら、少しずつ心の準備をしていきました。

いよいよ12日(金)、出発当日。空港に集合した3人はテンションが高いという訳でもなく、いたって落ち着いていました。いえ、本当は緊張のあまり、言葉少なになっていたのかもしれません。約1年前にHPを始めた時、こんな状況になることなんて、全く想像もしていませんでした。改めてこの1年間を振り返り、驚きと嬉しさと感謝の気持ちが沸いてきました。

そうこうしているうちに、フライト時間も迫って来ていました。ジローさん不安の出国審査が無事に済んでほっとしたのも束の間、セキュリティ・チェックの金属探知器でジローさんが引っかかること4回or5回。ポケットの中からはいろいろなものがザクザク出てきました。いよいよ危なくなって、ゲートまで走る走る。何とか間に合ったけど、思えばここからエピソードの多い旅を暗示していたのですね。

最終関門で Mayu殿が航空券を探しているとき、せつこさんは走り去りました。「ゴメン」って一言を残して(笑)。(J)

夕方17:00に成田を出発。私とせつこさんは中央の席で、両隣をかなり(いえ無茶苦茶)体格の良いアメリカ人に挟まれてしまったため、身動きが取れぬまま固まっていました。超コミの飛行機に押し込められること8時間半、そろそろ我慢の限界というところで、サンフランシスコに到着しました。同日の8:30過ぎのことです。ここの税関でまたまたジローさんが引っかかって、荷物まで全部調べられている間、私とせつこさんは空港の待合室で「ジローさん遅いね、大丈夫かな」「でもやはり怪しまれたね」(笑)と待っていました。多分、この日本人は不法滞在でこのままSFに居着いてしまうとでも思われたのでしょう。

身軽で普段と変わらない状態で聴きたい意志が悪い方に現れたのか、案の定ボクだけ捕まってしまった。う~ん、ドラマに出てくるチープな密売人ぽかったからなー。(J)

その後、せつこさんの従姉妹の潤子さんが迎えに来てくださり、お宅にお邪魔してクスクスのランチをご馳走になります。潤子さん(Fillmore に3時間並んでくださった方です)には短い滞在中、本当にいろいろお世話になりました。とても素敵なお家で、なぜかビージーズのビデオなど見ていましたが、やはり気になるのは Fillmore のこと。みんなソワソワして来たところでホテルまで送って頂きました。

おいしいクスクスを食した後、軽い散歩をする。潤子さんには会話の節々にせつ子さんと同じオーラ(パワー)が感じられた。(J)

散歩。米国本土を始めて踏んだボクにとってはしみじみと来るモノ有り。塗装は剥がれ日に焼けた空色の車、中になにが置いてあるのか分からないガレージ。緑の芝生に黄色のタンポポ。乾き遠ざかる空、きっと今も昔も Rock 小僧たちはこんなとこで呑んで語って音楽をしていたんだろう。どうりでコセコセした曲が少ないわけだ。 (J)

ホテルにチェック・インしたのが13:00頃。ホテルに向かう車の中から見ると、Fillmore の横にはすでに10人くらいの人が列を作っているようでした。「おお、これから私たちもあそこに並ぶのだわ。ワクワク」 でも、その前に準備を整えなくてはいけません。まずは、その後2日間アジトとなるジローさんの部屋でサイン・ボード(紙製)の制作。これは上手くいけば彼らにメッセージを見てもらえるのではないかと考えてのこと。折り畳んでジローさんのジャンパーの内側に忍ばせてもらうことにしました(詳しくは 「Campaign at The Fillmore」 コーナーで)。続いて女の子2人は、やはり TP&HB に会うのだからと念入りに鏡を覗いて … ねえ、せつこさん。

** Outside the Fillmore

Fillmore はSF市内にある小さな劇場で、Capacity も1200人くらい。椅子席はなく、全員立ち見のダンスフロアのようなところ。TP&HB クラスのバンドがコンサートをやるとはとても思えないような劇場ですが、逆にそういう所だからこそ、アットホームでリラックスした一大パーティー的なショーが可能なのです。彼等が心底観客と共に音楽を楽しみたいというそんな姿勢があってこその選択といえましょう。 (S)

Fillmore 外観。威圧感はまるでなく、非常に近しい感じの区民会館といった所。(J)

Fillmore がどんなところか、更に詳しく知りたい方は 「1997 – Fillmore 訪問記: 1. About The Fillmore」をご覧になって頂ければと思います。

折角日本から行くのだから、とにかく良い場所でライヴを見たい、そしてできることなら TP&HB にメッセージを伝えたい、というのが私たちの共通した思いでした。そのためには何時間でも並んで待とう、という覚悟はできていました。MLを通じて流れていた、3/7の Fillmore 初日を見たファン(John in Tampa)のレポート「PM2:00から待って、整理番号は27番だった」というのが目安になりました。最初の日、私たちも14:00から列に並んで待ちました。サンフランシスコの気候は日本とあまり変わらないのですが、さすがに日が落ちると冷え込みます。待ち時間は長く、寒かったです。特に16:00を過ぎた頃からの寒さはこたえました。

会場では席が決められていないため、いい場所をとるためにあらかじめ行って並ぶ必要があり、私たちも午後2時から開場の6時15分頃まで並んだ。列のほかの人たちと交流したりして、みんな盛り上がっているので、待ち時間もけっこう楽しかった。しかし気温は最高が15度程度で、夕方に向けて寒くなっていき、最後は震えながら開場を待っていた。(S)

並ぶ並ぶ。あぁ英語が飛び交っちょる。なんか日本の仲間と雰囲気が似ている。会話の節々で曲名を入れてた。「Waiting~」とか … 。後ろにいたカップルが非常に気さくな人だった。あの人のお陰で一体何人の人と知り合えた事やら!彼(Frank)は幸運を運ぶ「グル」であった。日本でLIVEがある時は、是非来てもらってみんなと一緒に飲んで紹介したい。(J)

Frank … 1日目、並んでいる時に私たちの後ろにいた夫婦。とてもフレンドリーで誰とでも積極的に話に行く。チケットをどうやって入手したとか、これまでどのコンサートに行ったかなど、いろいろな話題で盛り上がる。途中から防寒のためラグをポンチョのように巻いて着ていた。私が夫と子供をおいてやってきたと話すと、さすがに「よく来れたねー」と驚いていた。(やはりアメリカ人でもそう思う?) 「Take the Highway」のビデオを探している話をすると、こちらで見つけたらメールで連絡、送ってもいいと言ってくれた。Team HB の名誉会員に迎えてはという話も… (本人はわけがわからないでしょうが…)。(S)

寒くて辛かったのは事実ですが、並んで待っている間にも列の前後の人たちにせつこさんが話をしてくれて、それを聞いているだけでも結構楽しかったです。住んでいる国は違っても、同じ TP&HB を愛する気持ちがあるので、きっと似たような Feeling は持っているに違いありません。英語が飛び交うので100%は理解できなかったけど、私もずっと笑いっぱなしでした。そして16:00頃、Cathy Buffingtonがやって来たのです。Cathy Buffington とは、「TP&HB Official Fan Club Administrator」です。

せつこさんが、すかさず「Cathy」という名前を聞き取り、近くに彼女がいるらしいと教えてくれました。それから何とか Cathy を探そうと注意深く前方を見ていました。私たちの様子を察した Frank は、わざわざ確かめに行ってくれました。そして Frank に勇気づけられるように、近づいて来た Cathy にせつこさんが話し掛けました。Cathy は私たちが日本から来たこと、日本でキャンペーンをやっていることなどをちゃんと聞いてくれて、とても喜んでくれました。そして、私たちにいろいろなことを話してくれました。彼女が去った後、嬉しさのあまりせつこさんと抱き合って喜び、涙までこみあげてきました。正直なところ、うれしかったのと同時にすごくほっとしたのです。

Cathy Buffington … 彼女が近づいてきたので、思い切って話しかけてみた。すると正面からきちんと話を聞いてくれた。その時にまゆさんが用意していたピンクの用紙を渡し、日本語の TPのHPを作ったのだと説明すると、是非後で見てみるとのこと。実物は40代半ば、赤毛のロングヘアーに眼鏡、少々太目の暖かくてやさしい雰囲気の女性。おだやかだがエネルギッシュな印象。私たちが日本からきたという話にとても感激してくれて、できるだけ便宜を図ってあげたいと申し出てくれる。(たとえば彼女たちは少し先に入場する事ができるので席を確保してあげるとか、メンバーにサインを頼んでみるなど。)
皆、彼女に Tomさんたちの様子や、ショーの事、新譜について等、いろいろ質問すると、彼女は丁寧に知っている範囲で答えてくれた。記念写真をいっしょに撮らせてもらう。できあがったら送ってと言われる。とにかく感激してくれて、親切にいろいろなことを Offer してくれて、こちらも大感激。(S)

17:00頃、Fillmore のスタッフが列に並んでいる人たちのチケットをチェックして整理番号を付けていきます。その方法はとてもシンプルで、右手の甲にマジックで番号を書込むのです。私たちの番号は、19、20、21 (TOPページにある写真)。この数字ならかなり良いポジションが期待できそうです。開場まであと1時間ちょっと。再び気分を取り直して待ち続けました。

** Inside the Fillmore

6:20頃、待望のドア・オープン。入り口で簡単な荷物チェックの後、チケットを切ってもらって、2階にあるフロアへと急ぎます。ただ整理番号は厳密に尊重された訳ではなかったので、ちょっと焦りました。でも、せつこさんが素早くステージ前に突進して、左サイドの一番前のポジションをキープしてくれました。私もせつこさんを目指して突き進み、フロアに座り込んだ時にはもう何が何だかわからなくなっていました。そう、そこはステージの真下の最前列、丁度 Mike と Benmont の間くらいの位置でした。期待と不安と疲れと緊張とそして興奮で少し訳のわからなくなっている3人でした。

周囲の人たちは、みな思い思いにくつろいで時間をつぶしているようでした。フロアには2ヶ所バー・カウンターがあり、お酒を飲むことも、簡単な食事をとることもできるようになっています。でも、私たちは結局2日間とも何も口にしませんでした。あのアルコール大好きのジローさんさえ、何か飲みたいとは言い出しませんでした。彼はそれ程、集中してその場に挑んでいたのです。

劇場内に入ってからは、中で食事や飲み物も購入でき、食事をする人も多い。が、私たちは自分たちの席に座り込んで待っていた。劇場は古いが、Fillmore のHPに出ているものと同じシャンデリアがいくつも天井に飾られ、独特の雰囲気を作っていた。(S)

周りは色んな人達で溢れちょった。こんなに前で心臓やられないんか?って感じの60&40歳のおっちゃん達や早くもハッピースモークをふかしている若もん、お目々にお星さんが入った様にうっとりしてる女の子、いきなり「ブルースは好きかい?」ってまくし立ててくる娘。ファン層が広い事、広い事!!(J)

Fillmore のフロアに座り込み、さらに待ちました。オープニング・アクトの登場まで約1時間半。TP&HBの登場までだと約3時間。再び Cathy が私たちのところにやって来て、いろいろ話しをしてくれました。ここで彼女は金色の「Alien」のキーホルダーを渡してくれました。何でもそれは Mike がお気に入りのもので、ライヴの時に Mike にそれを見せれば彼は何だろうと思ってこちらに注目してくれ、良い目印になるということらしいのです。Cathy から「誰が持つ?」と聞かれて、せつこさんはすかさず私に渡してくれました(詳しくは「Fillmore Goods 公開」コーナーで)。

その後も、周囲の人たちと多少は話しをしたと思いますが、あまり良く覚えてはいません。途中、Cathy のご主人が Fillmore 名物(?)のリンゴを差し入れて渡してくれたこと、サイン・ボードを周囲の人に見せたら「良いじゃん」と言ってもらい勇気づけられたこと、ステージ上からスタッフ(後で Mike のギター・テクの Steve とわかる)に日本語で挨拶されたこと。そして、となりの人が私の持つ Alien を見て「ほら、あそこにもあるんだよ」と Mike のアンプのところを指差して教えてくれたこと。そう、同じものがアンプの真ん中にぶら下がっていました。私たちは落ち着かない気持ちで待っていました。刻々とショウのスタートが近づきつつありました。

Steve Winstead … Mike のギターテク。白髪混じりの長髪をポニーテイルでまとめて野球帽をかぶり、テキパキとショーの準備をこなしていた。初日に準備をしていた時に、最前列を陣取っていた私たちのところに「こんにちは!」と元気よく声をかけてくれた。「 Where are you from?」と聞くので、「We are from Japan.」と答えると「I know. That is why I said “こんばんは”」と笑いながら言った。先日レニー・クラヴィッツの日本公演に同行したとのこと。「ショーを楽しんでね」とも言ってくれた。(S)