Mudcrutch History

Early Years(1968~1974)

1968年に地元ゲインズヴィルのハイスクールを卒業して本格的な音楽活動をスタートした Tom Petty(TP)は、同級生の Tom Leadon と Mudcrutch というバンドを始めます。この頃、TP はベース、Leadon がギターを受け持っていました。

ドラマーに応募してきた Randall Marsh をオーディションした際に、Marsh のルームメートとして紹介されたのが、ギターの Mike Campbell でした。無口で内気そうな Mike が持っていたのは安い日本製のギター、訝しく思いつつもバンドにリズム・ギターを加えたいと考えていた TP は Mike に「”Johnny B. Goode”を弾けるか?」と尋ねます。バンド経験はほとんどなかったものの時間があればギターの練習をしていた Mike。その演奏を聞いてスッカリ惹き込まれた TP は、即座に Mike をメンバーに加えます。こうして、Mudcrutch はスタートしました。

当初、Mudcrutch には Jim Lenahan というヴォーカリストも在籍していましたが、バンドにフィットしなかったこともあり Lenahan を解雇。そこからは TP と Leadon がヴォーカルを分け合うようになりました。ちなみに、Jim Lenahan は後にライティング・ディレクターとして TP&HB のスタッフに加わり、ステージ・デザインやビデオ・クリップなどを手掛けることになります。

同じく地元ゲインズヴィル出身の Benmont Tench は、以前から TP とは顔見知りのキーボーディストで、Madcrutch に心惹かれていました。1971年秋にはニューオーリンズの大学に進学しているので、常時一緒に活動はできませんでしたが、休暇などで帰省した際に顔を出しては演奏をしていたようです。

フロリダ大学のあるゲインズヴィルは学生街として発展しており、バーやクラブも多く、バンド活動を支える要素がありました。ゲインズヴィルを中心に活動を続けた Mudcrutch は、その実力も相まってフロリダではかなりのビッグネームになっていきます。彼らは Gram Parsons や Flying Burrito Brothers、Creedence Clearwater Revibal などの曲に加えて、TP 作のオリジナルの曲も演奏していました。Mike や Benmont も、そのことを印象深く感じたと言います。

この間、彼らは 1970、71、72年と、計3回の「Mudcrutch Farm Festival」を開催します。Mike と Randall の住んでいたコテージを会場にフェスティバルを開催したのですが、周辺の州からも観客が押し寄せて大変なことになったといいます。

1971年、Mudcrutch は友人から借金をして、マイアミの Criteria Studios で最初のレコーディングに挑みます。この時、メンバー全員がスタジオに足を踏み入れるのすら初体験で、Tom Leadon の兄である Bernie Leadon(Flying Burrito Brothers、Eagles)から電話でアドバイスを受けてスタジオ入りしたのだそうです。TP 作の”Up In Mississippi Tonight” と”Cause Is Understood”の2曲を録音し、500枚をプレスしましたが、もちろん全く売れませんでした。

やがて、Tom Leadon が抜け、代わって Danny Roberts(ギター&ヴォーカル)が参加。1974年には Benmont の実力を評価していたTPが、彼の両親を説得して大学をやめてバンドで活動する許可を得て、Benmont を正式加入させることに成功します。

Mudcrutch はフロリダではトップ・バンドの一つとなり、レコーディングも経験しました。それらは以前、TP が思い描いていたような成功には違いありませんでしたが、決して満足できるものではありませんでした。彼らはさらに大きな成功を求めて、フロリダから旅立つことを決意します。目指すはロサンゼルス、The Byrds や Eagles といった憧れのグループが活躍する街、TP にとっては映画の都としても馴染み深かったといいます。

Early Years(1974~1975)

程なく TP と Roberts がデモ・テープを持ってロサンゼルスに売り込みに出向いたところ、すぐに良好な反応があり、彼らは London Records と契約することに決めました。そして、Mudcrutch はメンバー揃って、1974年4月1日にゲインズヴィルを出発しました。

その直前、TP たちの元に1本の電話が入ります。相手は、ロサンゼルスで配ったデモ・テープに興味を示した Denny Cordell(Shelter レーベル創設者)でした。Cordell は TP たちに、ロサンゼルスへの旅の途中、オクラホマのタルサにある Shelter のスタジオに立ち寄るように勧め、Mudcrutch もその申し出を受けました。そして、Cordell と会った TP たちはすっかり意気投合し、8月には Shelter と契約を交わすことになりました。

ロサンゼルスに到着した Mudcrutch はアルバムのレコーディングを開始しますが、思ったような成果はなかなか表れませんでした。スタジオでの経験に乏しい彼らは、レコーディングに非常に苦労していたのです。また、バンドとしての焦点も定まっておらず、混とんとした状態でした。当初から TP の才能を高く買っていた Cordell は、プロデューサーとしての立場から TP の作品に集中することを勧めるのですが、Danny Roberts はこれに納得せずにバンドを脱退。代わりに、Charlie Sousa をベーシストに加え、TP がリズム・ギターを担当するようになりました。

そこで、Cordell はメンバーをタルサの Shelter Church Studios に送り出し、ここで6週間のセッションが行なわれました。この時、レコーディングされた”I Can’t Fight It” “Cry To Me” “Don’t Do Me Like That”は『Playback』で聞くことができます。

ロサンゼルスでのセッションから選ばれた”Depot Street / Wild Eyes”がファースト・シングルとして発売されたのは 1975年2月でした。彼らの唯一のシングルレコードとなる訳ですが、今回も全く売れることなく終わりました。

シングルのプロモーションと並行して、引き続き、アルバムの制作が続けられますが、Mudcrutch は力を出しきれずに苦しい時を過ごします。75年5月頃、バンドの方向性を巡って TP が脱退したのをきっかけに、結局、Mudcrutch は解散に至りました。

その後、TP は引き続き Shelter との契約のもとソロ・アルバムの制作に取り掛かります。Mike Campbell は、TPの要請によってアルバム制作に協力。Benmont Tench は Tom のソロ・アルバムに刺激を受けて、新たなデモ・テープの制作に乗り出します。そこに集まったのが、Stan LynchRon Blair でした。新しいバンドが生まれるまであと少し… 続きは TP&HB の History をご覧ください!

Mudcrutch Part2

TP&HB およびソロアーティストとしても大成功を収めた TP は 2000年代以降、折りに触れて Mudcrutch 再結成について言及してきました。TP にとって Mudcrutch は「やり残した」感があったのでしょう。そして、解散から30年以上を経た2007年、ついに Mudcrutch が再始動することになりました。メンバーは TP、Mike、Benmont に加えて、Tom Leadon (g) と Randall Marsh (dr)。

8月に2週間で録音された、彼らのデビュー・アルバム『Mudcrutch』を2008年4月に発売。また、アルバム発売に先駆けて、4月12日から5月2日までカリフォルニアでのショートツアーも行われました。

ここで活動は一旦休止となりますが、その後も TP は Mudcrutch での活動を考え続けていたようです。TP&HB でのツアーの合間にレコーディングを行い、ファースト・アルバムから8年後となる2016年にセカンド・アルバム『2』を発表します。前作同様、奇妙なデザインのアルバムでしたが、ビルボード200で10位を獲得するヒット作となります。また、アルバムをサポートする全米ツアーも行われています。

TP にとって Mudcrutch は、大きな夢を抱いて突き進んだ青春時代そのものでした。Mike や Benmont にとっても同様でしょう。再結成によって自身の過去を再訪しながら、青春時代に果たせなかった夢を取り戻したのだと思います。当時は上手くいかなかった物事も、今では余裕で楽しむことができる。それもこれも、TP&HB として成功を収めたからに違いありませんが、彼らがここまで続けてきたからこそ得られたご褒美なのです。