Mudcrutch(Early Years)

History(1974~1975)

Mudcrutch はフロリダではトップ・バンドの一つとなり、レコーディングも経験しました。それらは以前、TPが思い描いていたような成功には違いありませんでしたが、決して満足できるものではありませんでした。彼らはさらに大きな成功を求めて、フロリダから旅立つことを決意します。目指すはロサンゼルス、The Byrds や Eagles といった憧れのグループが活躍する街、TPにとっては映画の都としても馴染み深かったといいます。

TP と Roberts がデモ・テープを持ってロサンゼルスに売り込みに出向いたところ、すぐに良好な反応があり、彼らは London Records と契約することに決めました。そして、Mudcrutch はメンバー揃って、1974年4月1日にゲインズヴィルを出発しました。

その直前、TPたちの元に1本の電話が入ります。相手は、ロサンゼルスで配ったデモ・テープに興味を示した Denny Cordell(Shelter レーベル創設者)でした。Cordell は TPたちに、ロサンゼルスへの旅の途中、オクラホマのタルサにある Shelter のスタジオに立ち寄るように勧め、Mudcrutch もその申し出を受けました。そして、Cordell と会ったTPたちはすっかり意気投合し、8月には Shelter と契約を交わすことになりました。

ロサンゼルスに到着した Mudcrutch はアルバムのレコーディングを開始しますが、思ったような成果はなかなか表れませんでした。スタジオでの経験に乏しい彼らは、レコーディングに非常に苦労していたのです。また、バンドとしての焦点も定まっておらず、ゴタゴタした状態でした。当初から TP の才能を高く買っていた Cordell は、プロデューサーとしての立場からTPの作品に集中することを勧めるのですが、Danny Roberts はこれに納得せずにバンドを脱退。代わりに、Charlie Sousa をベーシストに加え、TPがリズム・ギターを担当するようになりました。

そこで、Cordell はメンバーをタルサの Shelter Church Studios に送り出し、ここで6週間のセッションが行なわれました。この時、レコーディングされた”I Can’t Fight It” “Cry To Me” “Don’t Do Me Like That”は『Playback』で聞くことができます。

ロサンゼルスでのセッションから選ばれた”Depot Street / Wild Eyes”がファースト・シングルとして発売されたのは1975年2月でした。彼らの唯一のシングルとなる訳ですが、今回も全く売れることなく終わりました。

シングルのプロモーションと並行して、引き続き、アルバムの制作が続けられますが、Mudcrutch は力を出しきれずに苦しい時を過ごします。75年5月頃、バンドの方向性を巡って TPが脱退したのをきっかけに、結局、Mudcrutch は解散に至りました。

その後、TP は引き続き Shelter との契約のもとソロ・アルバムの制作に取り掛かります。Mike Campbell は、TPの要請によってアルバム制作に協力。Benmont Tench は Tom のソロ・アルバムに刺激を受けて、新たなデモ・テープの制作に乗り出します。そこに集まったのが、Stan LynchRon Blair でした。新しいバンドが生まれるまであと少し… 続きは、TP&HBのHistory をご覧ください!