1- About The Fillmore

念願のTP&HBを「あの Fillmore で見られる!」 … 私にとって「Fillmore」というのは、昔から特別な響きを持った場所でした。中学生で洋楽を聞き始めた頃からずっと、60年代の音楽とその時代の持つムードに惹かれ続けてきました。その頃のことをいろいろ見たり聞いたりした中で、ひときわ輝いて見えたのが、Fillmore という店でした。(60年代ロックを振り返る映像集や本などを通じて、その世界を認識することができると思います。)

The Fillmore

それは1960年代後半、サイケデリックな流れとともに、サンフランシスコにフラワー・チルドレンが溢れていた頃のことでした。公民権運動、ベトナム戦争… 多くの問題が顕になり、アメリカはまさに混乱していました。その中で(半ば現実逃避の側面もあったのでしょうが)多くの若者がサンフランシスコを目指しました。そこには、既存の社会とは違った価値観のコミュニティが形成されつつあり、更にそのエネルギーに惹かれるように多くの人がやって来ることになるのです。

希望と熱意を持った若者とそれを取り巻くエネルギーによって、サイケデリックは花開きました。人々は Love&Peace、そして Rock’n’roll で世の中を変えることができると信じていました。彼らは同じ価値観を持った仲間「Tribe」という意識で結び付いていましたが、それを強めたのがドラッグであり、Rock Music でした。この頃の Rock Music はドラッグの影響を避けて通れず、それぞれが相乗効果を持ってサイケデリックを支えていたのです。

その Rock Music の世界の中心に Fillmore がありました。この店は後に西海岸随一のプロモーターとなる、Bill Grahamが運営していたものです。混沌としたサンフランシスコで、Grahamは「ベネフィット」としてライヴを企画し始めますが、そのために使用されたのが「Fillmore」でした。そして以降、常設的にライヴが行われるようになり、毎晩のように新しく、パワーのある上質な音楽が提供され続けました。そこには何か新しいこと、エキサイティングなことが起こるのを期待した若者が集まり、実際、期待通りの祭典が繰り広げられました。

その頃にスタートしたばかりの多くの無名バンドが、ここで演奏し、名声を掴み取っていきました。Gratful Dead、Jefferson Airplane、Jannis Joplin (Big Brother & The Holding Company)、Jimi Hendrix、Santana、The Butterfield Blues Band、Otis Redding、Craem、The Who。同時に Grahamは、ソウルやブルースなど古くからある上質な American Music の紹介にも力を注いでいました。例えば、Muddy Waters、Chuck Berry、Jimmy Reed、Miles Davis などを、新進の Rock Music と組み合わせて若者たちに提供しました。今でも伝説として語り継がれるパフォーマンスは数え切れません。

また、サイケデリックは音楽だけでなく、美術等を取り込んだ総合的なアートに発展していきますが、Fillmore はその意味でも大きな役割を果たしました。Fillmore や同業の Avallon Boallroom の制作したポスターは、その色彩感覚と斬新なデザインで人気を集め、今ではコレクション・アイテムにもなっているほどです。また、「ライト・ショー」といわれる視覚効果を狙った演出(スクリーンにリキッド・プロジェクターを使って抽象的な模様を映し出す)も人気がありました。

Graham は、Fillmore にやって来る人々に対し、居心地の良い空間・サービスを提供するということを大切にしていたと言います。確かにエキサイティングさが売り物ではありましたが、同時に居心地の良い空間で、本物の音楽を楽しんでもらいたいという信念がありました。これも、Fillmore をここまで伝説的な存在に押し上げた一因なのだと思います。

about Bill Graham

Bill Grahamは、元々ドイツ生まれのユダヤ人の家系の出で(1931年1月8日生まれ)、第二次対戦中のナチスの迫害を逃れて、まさに命からがらアメリカに渡って来たそうです。アメリカ人の家庭の養い子として、ニュー・ヨーク郊外で育ち、後にサンフランシスコに移り住み、「マイム・トゥループ」などの前衛演劇集団に関わるようになります。そして、激動期を迎えていたサンフランシスコで自身の感覚を磨き、生きる道を見つけ出したのです。

エキサイティングな場所と良質な音楽を提供すること、これが彼のビジネスになっていきます。最初の成功が Fillmore でした。そこで彼はまさにシーンの中心人物として君臨します。後には、自身の会社 Bill Graham Presents(BGP)を興して、SFを拠点に西海岸を牛耳る大物プロモーターとして活躍するようになります。ストーンズ、ディラン、CSN&Yなどの超大物アーティストのツアーを手がける他、様々なベネフィットを企画したり(Live Aid、アムネスティ)、映画制作に関わったりと幅広い活躍をしました。その生い立ちが影響しているのでしょうか、常にアグレッシブで野心的な人物だったと言われます。

1991年10月25日、ヒューイ・ルイス&ニュースのライヴからの帰り、乗っていたヘリコプターが墜落して死亡。60才の若さでした。彼の死を追悼して企画されたフリー・コンサートには、50万人が集まったといいます。『Take The Highway』のビデオの中で、”I’m Tired Old Joey Boy”を歌う際にTPが、「Bill Graham に捧げて… 」と言っているのをご記憶の方もいらっしゃるかと思います。ビデオが撮影されたのは、このショッキングな事故から約1月後のライヴでした。

Fillmore の歴史

サンフランシスコ市内の Geary St.と Fillmore St.に挟まれたところにある、「Fillmore (Auditorium)」という店は1912年にオープンし、以降ダンス・ホールとして営業されてきました。Bill Graham が借り受けて運営をするようになったのは1965年12月頃からで、以降、約2年半に渡ってここで営業が続けられます。サンフランシスコの「Summer Of Love」を象徴し、燦然と輝く存在でした。

しかし、Fillmore のある辺りはあまり治安が良い場所でなく、キング牧師の暗殺事件を機に状況はさらに難しくなっていました。そこで、Graham はトラブルを避けるために移転を決意します。

新しい店は、Market St.&Van Ness Ave.の「Carousel Ballroom」で、後に「Fillmore West」と呼ばれるようになります。これに対して最初の店は、しばしば「オリジナル・フィルモア」と呼ばれます。そして、1967年には「Fillmore East」を出店し、ニューヨークに進出します。どちらも良質の音楽を提供し、シーンを彩りましたが、時代は変わりつつありました。惜しまれながらも、1971年6月に「East」が、7月には「West」が閉店されました。これ以降、Grahamは「Winterland」を中心に公演を運営するようになります。

とはいえ、Bill Graham の心には常にオリジナルの Fillmore がありました。そして1988年3月3日、Fillmore は元の場所に戻って営業を再開します。しかし、残念なことに1989年のサンフランシスコの大地震によって、店は打撃を受け閉店を余儀なくされてしまいます。

1991年10月の Bill Graham の死によって、BGPのスタッフは彼の希望であった、「オリジナル・フィルモア」の再開に向けて力を尽くします。そしてついに、1994年4月27日、再々オープンにこぎつけました。その後は現在に至るまで数多くのアーティストが出演し、新たな Fillmore の歴史を刻んでいます。

Fillmore の雰囲気

外から見るとかなり古い、ちょっと薄汚れたような建物の中に「Fillmore」はあります。1Fの入り口から階段を上がり、2Fがライヴ・フロア、3Fがバー・スペースとフロアを見下ろすバルコニー席になっています。

フロアは板張りで座席はなく、3Fまで吹き抜けの天井は高くガランとした印象を受けます。収容人員は1200名くらいです。ステージを正面に見て、フロア後方に2ヶ所、アルコールを売るスタンドがあり、ドリンク片手にライヴを楽しむこともできます。もっとも私にはそんな余裕はなかったですが。ライヴが終わると、床一面がアルコールで汚れて、ベタベタになっていたのを思い出します。

2Fのフロア外側の壁には、沢山の写真が飾られています。ほとんどがここに出演したアーティスト達で、かなり古いものばかりです。その中で私の記憶に残っているのは、一番端にあった写真。隣で写真を見ていた人が話していました。「これは誰だかわかる?シグネ・アンダーソン、Jefferson Airplane の最初のボーカリストだよ。」 なんと今から30年以上昔の話です。まさに時代を超えてつながっているのだという感覚を味わいました。

3Fのバーの壁には一面、ポスターが貼られています。Fillmore の一つのウリでもあったサイケデリックなポスターがこれでもかというくらいに並び、それは圧巻です。どれもこれも欲しいものばかり、ウットリしてしばらくその場を離れることができませんでした。私にとってそこはライヴは勿論、それ以外でも見るものが多く、まさに歴史的な場所に思えました。


Fillmoreのことをさらに詳しく知りたい方には… Bill Graham自らが語った自伝をお勧めします。

『ビル・グレアム ロックを創った男』 (原題 “My Life Inside Rock And Out”)
ビル・グレアム / ロバート・グリーンフィールド (1994年 大栄出版)