10- The Fillmore 97 Revisited

あれから早10年。当時を思い出しつつ、The Fillmore への道を綴ってみました。[2007年1~3月にかけてブログに書いたものを転載しました。タイトルのカッコ内は掲載日付。]

The Fillmore 97 Revisited – 1 (2007-01-31)

10年前の今日(1997年1月31日)という日は、私の中でもっとも記憶に残っている日付の一つです。きっとこの先も絶対に忘れることはないでしょう。その日、私は一人ドキドキしながらサンフランシスコに降り立ち、全く見ず知らずの土地で、TP&HBのライヴを初めて観たのでした。

その時のことは「Fillmore 1997」というコーナーに記しましたが、通常のライヴ・レポートのように、そこに辿り着くまでの経緯に触れていません。思い起こせばいろいろあったな~(懐)。10年目でもありますし、今一度あの頃のことを書いてみたかったのですが…一気に書き上げる自信もないので、ブログを使って少しずつアップしていくことにしました。

今思うと、それは偶然から出た幸運の積み重なりでした。私がTP&HBに強く惹かれるようになったのは1990年代半ば。オリジナル・アルバムを買い進め聴き込む一方で、彼らのライヴ・パフォーマンスが非常に気になりました。というのも、『Pack Up The Plantation – Live!』や『Take The Highway』での彼らの「存在感」がとてもカッコ良かったから。さらにはふと手にしたブートレッグ(初めはCD、そのうち映像も)が追い討ちをかけてくれました(笑)。その時まで海賊盤の存在には縁がなかったですが、彼らのライヴ音源に触れて、アルバムの世界とはまた別の世界があるのだと知りました。当然、「TP&HBのライヴが観たい」という思いはどんどん高まっていったのです。

The Fillmore 97 Revisited – 2 (2007-02-02)

1996年秋頃、母と「久しぶりに旅行に出掛けようか」という話が持ち上がりました。母は海外のことなんて右も左もわからないというタイプなので全ては私頼み。よって、私主導で計画を進めます。行き先はこちらの希望を反映してアメリカ方面、さらに手軽さを考えて西海岸に落ち着きました。今では「アメリカ遠征」続きの私ですが、この時までアメリカに行ったことはありませんでした。

当時、我が家ではNBAが人気で、折角行くならNBAの試合が見たいと漠然と考えました。試合スケジュールを見ると、2月初旬にロスアンゼルスで「ブルズ vs レイカーズ」の試合があります。私にとってのNBAはMJに他なりませんでしたから、チャンスがあるなら是非観たいと思いました。幸いにも、旅行会社のパンフレットでも「NBA観戦」はオプションとして取り扱われていて、手配する事は難しくないようです。

ということで、目的地はL.A.。日程は10日間までOKなので、帰りにハワイに寄ってというコースで旅行会社に申し込もうということになりました。それから数日後に行き先はアッサリ変更になるのですが。

The Fillmore 97 Revisited – 3 (2007-02-05)

当時、私は自宅にPCを持っていませんでした。勤務先では専用のPCを使っていましたが、インターネットには接続されていませんでした(そういう時代でした)。かろうじて、部門に1台、ネットに接続できる共用のPCがあり、何かを調べる時はそれを使っていました。私もほんの数回、そのマシンに触れたことがありますが、さすがに私用に使うのは気がひけて、一番知りたいこと(TP&HBのこと)はチェックしませんでした。ある会社帰りの夕方、ふと駅ビルの中にあったPC販売店のデモ用のPCに目が留まりました。見たい・知りたい… そんな気持ちが恥ずかしさに勝って、吸い込まれるように並んでいるPCの前に立っていました。幸い店員はおらず、他の人たちも思い思いにPCに触れていました。

使い方はわかっていましたから、ブラウザを立ち上げ、そして、Tom Petty & The Heartbreakers という名前を検索スペースに入力しました。ズラ~っと出ました。当然、全て英語サイト。その結果に一瞬ひるみつつも、ネット上には沢山の情報がありそうだと認識。目の前に新しい世界が開けたかのようでワクワクしました。その日はそれで十分満足でしたが、次第に図々しくなって、その後も数回、デモ用PCの前に陣取りました。

最初の時からそう時間は経っていないある日、「TP&HBのライヴがある」という情報が目に飛び込みました。それだけで心臓が止まりそうなくらいにドキドキ、平静を装いつつも自分の中では大興奮状態です。(どこでその情報を見たかは全く覚えていません。当時、まだオフィシャル・サイトはありませんでしたから、WBRのページだったのか、「Indiana Girls Website」だったのか??)

大っぴらにメモなどする訳にもいかず、書いてあった情報を最大限に記憶して、帰りの地下鉄内で手帳に書留めました。場所はサンフランシスコ、しかも The Fillmore でした。60年代音楽が好きだった私に、その名前はあまりに魅惑的でした。コンサートは約1ヶ月に及ぶ長丁場、幸運にも「L.A.&ハワイ旅行計画」の時期に重なっていたのです。細かいことは何も考えず、これは観に行くしかないと思いました。そして、家に帰るなり母に向かって、「他に行きたいところがあるから旅行の予定を少しだけ変更する」と宣言しました。

The Fillmore 97 Revisited – 4 (2007-02-07)

旅行にからめてライヴも観れる、なんとも幸運なスタートですが…肝心のチケットについては全くどうして良いのかもわかりませんでした。今なら日本に居ながら Ticketmaster のサイトでチケットを買うことができますが、当時のチケット販売事情はどんなだったのでしょうね。とにかく、その頃の私には、知識も経験も情報を得る手段もほとんど何もありませんでした。

考えているうちに唯一浮かんだのは、日本のチケットぴあにワールド部門があったはず、ということで、その週末、チケットぴあに電話をしてみました。とはいえ、このワールド部門はミュージカルとか超有名クラシックコンサートなんかをターゲットにしていたのでしょう。日本で知名度の低いロック・バンドのコンサートは異色のオーダーだったと思います。調べてもらったところ、コンサートのチケットは既にソールド・アウト。ただ、係の人は絶対無理という口ぶりではなく、現地に依頼して調達することは可能だろうというのです。アメリカではブローカーが合法的に認められていて、それなりにお金を払えばチケットが手に入る、なんてことを知ったのはもっと後のことです。代金は2-3万円くらい、しかも、現地に行くまで結果はわからないなどと言われて戸惑いましたが、他に頼るものもありませんから、お願いすることにしました。

この頃、ちょっとだけ困ったことがありました。というのも、私がサンフランシスコで夜はライヴを観に行くという話しをすると、母は「自分はその間どうすれば良いのだ」と心配し、「部屋でゆっくり休んでいれば良い」というと、「そんなの一人じゃ怖い」と言うではありませんか。「いや、鍵をかけて部屋にいれば何てことないじゃない」と言っても聞きません。終いには「一緒にコンサートに行く」と言い出し、「ロックのコンサートなんだよ、そんなの無理だよ」というと、「耳栓して座ってる」と。最終的には妥協案(??)で3回のうちの1回分だけ、母親のチケットも買うことにしました(ヤレヤレ)。

The Fillmore 97 Revisited – 5 (2007-02-13)

旅行はL.A.で「ブルズ vs レイカーズ」のゲームのある2月5日を基準に、まずSFに4泊、LAに移動して3泊というプラン。これだとSF滞在中に1/31・2/1・2/3と3回のライヴを見ることがきます。何の迷いもなく、滞在中に観られるライヴは全部観るつもりでした。ライヴ・チケットに続いて、HISにエア&ホテルのフリープラン+NBAの予約をして手配完了(当時は全て旅行会社のお世話になってました)。それからは日々ワクワク・ドキドキしながら過ごしました。旅行は出掛ける前の高揚感が何より楽しいものです。 時々チケットぴあに問い合わせて状況を確認、依然チケットOKの回答はありませんが、完全にNGという返事も来ないので大丈夫と自分を納得させました。

年が明けて1997年。出発の2~3週間前頃だったでしょうか。入院していた(母方の)祖母を見舞いました。祖母は長らく闘病中で入退院を繰り返していましたから、別段深く考えてはいなかったのですが、思った以上に容態は芳しくありませんでした。まだ急を要する状況ではありませんが、悠長にしている場合でもありません。一緒に行った母は少なからずショックだったようで、その晩、今回の旅行を断念しました。私はというと… 親の親不孝(??)なことに「何があっても行く~」という勢いでしたから、当然一人で行く決意をしました。不安がなかったと言えばウソになりますが、それを圧倒的に上回る期待と喜びがありました。

The Fillmore 97 Revisited – 6 (2007-02-19)

1月31日、ついにその日。HISのエコノミーなプランにセットされていた飛行機は大韓航空でした。軽い不安を覚えつつも、一人ドキドキ・ソワソワしている間に早朝のL.A.に無事到着。入国審査を済ませると、US初入国の感慨にふける間もなく、すぐに国内線でSFに移動です。実はこの国内線乗継がくせものでした。というのは、HISからの案内には不親切なことに何も書いてありませんでしたから。私は「地球の歩き方」を熟読して行ったお陰で、何となく乗り継ぎの手法がわかっていて難を逃れましたが(笑)、空港で困った様子の日本人を沢山見かけました。当時は今ほど自由旅行が主流ではありませんでしたから、無理もありません。聞いた話では、同社のL.A.からラスベガスへの乗継ぎでは、乗り損ねてラスベガスに到着しなかったお客さんが複数いたそうです。

SFに着くと旅行社の現地係員が待っていて、ホテルにチェックインするまでの数時間、他のお客さんと一緒に市内観光です。一通りの観光スポットをバスで周り、初めて目にするSFの街を興味深く眺めつつも、心は夜のライヴに向かっていました。夕方近くにようやく滞在するホテル(ダウンタウンのヒルトン)にチェックイン。おっと、その前に一仕事。隣のニッコーホテルの中にある代理店の現地オフィスにライヴ・チケットを受け取りに行くのです。本当にチケットはあるのか?最後まで不安だったけど、オフィスで渡された白い封筒には計4枚のチケットが。やった~!SFに着き、観光も終わり、チケットを手にし…一歩一歩ライヴに近づいている感覚です。そして、あと何時間後かには…!!

The Fillmore 97 Revisited – 7 (2007-02-25)

Fillmore のある場所はダウンタウンから少し外れていて、「地球の歩き方」によるとあまり治安の良い場所ではないようです。移動の手段は迷わずタクシー(今ならバスの利用も有りでしょうが、当時の私には考えられませんでした)。ただ、行きはホテルから乗るから良いとして、帰りはどうしたものか?というのが最大の不安でした。市内観光の時に現地係員の人に Fillmore 情報を尋ねてみると、「外に客待ちのタクシーがいる」ということで、少しホッとしました。

夕方遅くにホテルの入口からタクシーに乗り、恐る恐る「Fillmoreまで」と言うと、すかさず年配の運転手さんが「Tom Petty and the Heartbreakers だね!」と応えるではないですか。街中が彼らのライヴをサポートしているような気がして、それだけで嬉しくなってきます。車窓から眺める夜のSFの街は深い闇に包まれているようで恐怖心を煽りますが、ここでも「もうすぐライヴ!」という喜びが勝って、まるでリムジンに乗って舞踏会に行くような夢心地でした。ちょっと大袈裟でしょうか… 実のところ、リムジンに乗ったことも舞踏会に行ったこともありませんけど(笑)。

程なく Fillmore に到着し、スンナリ難なく会場に入ります。ライヴ会場なので人で賑わっているかと思いきや、ウロウロしている人はほとんどいませんでした。後からわかったことですが、私が会場に着いたのは開場時間をとっくに過ぎていたので、既にみんな中に入った後だったのです。何たって、ライヴはスタンディングなのですから(早いもの勝ちです)。そんな事も考え及ばない私…(笑)、様々なことが自分の理解を超えていました。何しろ、日本でもスタンディングのライヴなんて行ったことなかったのですから。

The Fillmore 97 Revisited – 8 (2007-03-02)

さて。憧れの Fillmore 内部に入り、いよいよ待ち焦がれた TP&HB のライヴですが… 肝心の内容は、当時書いた(といっても1~3年経った後ですが)「Fillmore 1997 (遠征記)」をご覧になって頂くのがよろしいでしょう。今から書いたら、さらにいい加減なレポートになりそうですから。以下のリンクを参考にして下さい。

改めて振り返っても、盛り沢山です。この全てが97年1月31日という一日に集約されていたのですから。いかにカルチャーショック状態(?)だったかご想像頂けるかと。

あの時、私は彼らのライヴが観たくて観たくて… たまたま丁度良いタイミングでライヴ情報をGETし、運良く休暇を取って旅行することができました。TP&HB にとって、それはデビュー20年を記念して行なわれた(通常のツアーとは違う形の)スペシャル・メニューのライヴでした。バンドは脂が乗った時期で、心から演奏を楽しんでいたように思います。

全てが一つになった最高の瞬間でした。本当に幸運としか言いようがありません。あれから10年、月日の経つのはあっという間です。時は戻らないとわかっていますが、今でもあの日を思い出し一人感慨に浸ってみることがあります。ライヴの興奮と充足感とHAPPY なフィーリングを取り戻すために。確かに時は戻りませんが、幸せな想い出の記憶は、自分を幸福にしてくれるものなのです。

沢山のラッキーな要素と、周囲の人々と、Tom, Mike, Ben, Howie, Scott, Steve & Roger に、心からの感謝を捧げます。